「膵臓がんの集い」は心の支え

昨年12月の『膵臓がん患者と家族の集い』に、SAKUさんと待夢さんに講演を依頼してありました。

しかし、2017年5月に膵頭部にがんが見つかり、肝臓と肺に転移しており、ステージⅣで手術ができませんでした。抗がん剤治療も中止して、ハイパーサーミアの治療だけを続けていたSAKUさんですが、膵臓がんの集いに参加した彼は、死を覚悟しているのか、いつも元気で明るくて、彼の周りには参加者の輪が絶えませんでした。そのような彼に講演を依頼したら、快諾していただいたのです。

彼の参加申込みコメント欄には、「標準治療が終了して 緩和ケアになった場合病院では どの位の期間入院が可能なのか。家族がおらず、独り暮らしのため不安です。」と書かれていました。

しかし当日、彼の姿はありませんでした。主治医の先生から、容体が急変したので参加は無理と、伝えて欲しい、そのように言付かったとの内容でした。

年が明けてから、先生から再びメールをいただきました。このように記されていました。

SAKUさんは、11/30に入院してからは、12/23の「集い」に参加することを楽しみにして、ベッドサイドでMACで原稿を書いたりされていたようでした。 ブログを書いたり患者会に参加していることは11/30に入院を決めたときに初めて伺いました。

当地域にある、患者サポートサービス(トラベルヘルパー)もご案内し手配のお手伝いもして、東京日帰りの準備もできていました。 12/23当日朝から発熱し本人も行くのは無理と理解されました。以後は徐々に意識混濁が続く状態となりました。 意識レベルは変動ありましたが、その後はまとまった会話が出来ない状態となりました。本人のお気持ちは聞けなくなりました。

残念ながら、1月1日昼過ぎに旅立たれました。 お話が出来るときに伺うと、患者の集いでお話が聞けること、懇親会でさらに談話できることが、SAKUさんの心の支えとなっていたようです。 これからも「集い」を末永く続けていただき、SAKUさんのような方の心のよりどころになっていただければ、と存じます。

医療者としては、がんを治す事が出来れば最善ですが、治らない方にも生きる希望を持って最期まで生きていただけるように、これからも患者さんたちに接していきたいと思っています。 「膵臓がん患者と家族の集い」の益々の発展を祈念いたします。

独り暮らしの彼は、『膵臓がん患者と家族の集い』の場が、こころの支えになっていたのでしょう。
すばらしい先生と治療チームです。私は、主治医の先生に次のような返信をしました。

SAKUさんは、告知当初から膵臓がんの集いに参加されていました。手術ができず、肝臓と肺に転移のあるステージ4でしたから、御本人も治らないことは覚悟をされていました。 それでも少しでも延命をと、さまざまな情報を集め、チャレンジされていたようです。

また、自分の人生を見つめ、命や死についてもよく考えられていました。 そのようなSAKUさんの生き様に共感し、集いの場でも彼の周りにはたくさんの患者や家族が集まって話し合っているようすが印象的でした。そうしたこともあって、彼に講演をお願いし、膵臓がんの患者にとって参考になることを話してもらえたらと考えたのでした。

膵臓がんは厳しい病気ですから、他の患者会とはちがい、独特の雰囲気があります。100人もの膵臓がんの患者と家族、遺族が一堂に集まる場はこれまでありませんでした。 初めて参加される方は、恐る恐る参加してみたが、全員が、明るい雰囲気に驚くと言います。 治らないがんを宿した患者どうしが会って話をすることが、こんなにも勇気づけられるのかと、開催する度に印象を強くします。

がんとの闘いを「冒険の旅の物語」とするならば、旅の目的である「宝物」を首尾良く手に入れられることもあれば、叶わないこともあります。旅の途中ではさまざまな逆風や事故に遭います。一方で、人の助けに救われたり、すがすがしい愛に遭遇することもあります。 冒険の旅の目的は達成できなくても、旅を終わる頃には主人公の人間性や人生観が、旅を始める前とは違っていると思います。

SAKUさんの冒険はまさにそのような旅でした。 先生やスタッフのみなさんの献身的なサポートによって、彼は最後の旅の目的を持つことができました。その希望がどれほど彼を勇気づけたか計り知れないと感じています。 残念ながら冒険の旅は成功しませんでしたが、SAKUさんのなかでは「精いっぱい生きた」との思いに違いありません。

予後の厳しい膵臓がんだからなおさら、患者どうしのふれあい、つながりは生きる支えとなるのでしょう。これからも『膵臓がん患者と家族の集い』をよろしくお願いいたします。

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